2022年 甲州道中四十四次 4日目 2022/04/16
4月15日は雨でしたが、16日は持ち直すという事なので、仕事が終わった後、大月駅に移動し、できたばかりの東横INNに前泊し、念願の「ほうとう」を食べました。
四十四次 約 207 km (52里21丁)4日目、今日16日は、笹子峠を越え甲府を目指します。始発で大月駅から前回到達した笹子駅に移動し、そこからスタートして、黒野田(1.3km)、駒飼(8.4km)、鶴瀬(2.0km)、勝沼(4.3km)、栗原(3.4km)、石和(6.4km)、甲府柳町(6.0km) 、計 31.7km 7宿に加えて、できるだけ韮崎に向かって進んでおこうと思います。甲府の先の竜王駅か、塩崎駅まで進んでおく事ができれば、残り70kmを切り、2日分のレンジになります。塩崎駅までなら40km超えになります。さあ、出発です。
笹子駅を出て国道20号線に出たり入ったり笹子川を縫うようにできるだけ旧道を進んでいきます。笹子駅は阿弥陀海道から黒野田の中間ぐらいにあったので10分ほどで黒野田宿本陣跡地点に到着、そこから黒野田一里塚も5分程です。
なだらかな上り道をてくてく進んで行くと笹子峠の標識、集落に入るといよいよ旧道の峠道です。まずは、矢立の杉を目印に旧道の峠道を登っていきます。
なかなかの峠道ですが、すぐ近くに県道212号線日影笹子線が走っているので不安はありません。急峻な旧道を抜けて212号線に戻って進むと笹子隧道です。甲州道中の頃にはトンネルは無かったはずと、周りを見渡すとトンネルの入り口手前にトンネルを越える峠道を発見しました。これを登っていきます。峠を越えるとトンネルの反対側に出ました。また旧道に戻って進んで行きます。
旧道を抜けて212号線をゆっくり下っていくと駒飼宿渡辺本陣跡に到着、9時前になりしました。思ったより疲れていないので、鶴瀬宿に進みます。
鶴瀬宿までは2km程度、20分程度で集落に到着、本陣跡地手前には関所跡があります。
鶴瀬宿手前から合流した国道20号線を進んで行くと観音トンネルに行き当たります。ここもよく見ると手前にトンネルを越える峠道を発見しました。峠道を登って行くのですが、アプリの示すルートと自分の位置がぴったりこず、行ったり来たりしながら道を探します。半分あきらめかけて聖観音堂を目指して登り聖観音正面の崖の方に進んで行くと下り道を見つけることができました。
トンネルを越えて旧道を進み、国道20号線に戻りゆっくり下っていくと近藤勇と板垣退助が戦った、柏尾の古戦場跡、大善寺を通り過ぎます。
鶴瀬宿から1時間弱、勝沼宿に到着です。本陣槍掛けの松の前で、クリームパンとウェルチで10時半まで休憩です。
ここから栗原宿へはなだらかな下りです。通り沿いはぶどう狩りの農園が軒を連ねていますが、季節柄閑散としています。20分程下っていくと山梨市に入り、すぐ栗原宿です。遺構もないので、石和か甲府で昼食休憩をとることにしてそのまま進みます。
11時です。甲府までは12km強、笹子峠の疲れのためか、ペースも落ちてきているので時速4kmとして、甲府に午後2時頃到着できれば良しとします。石和までは国道411号線に入ったり出たりで日川に沿うように歩いていきます。日川沿いに出たあたりから、石和方面の山に鳥居のような漢字の円のような模様が見えています。調べてみると御室山の「笈型(おいがた)焼き」の場所のようです。笈型焼きの模様を見ながら、日川の合流した笛吹川を渡ると石和の温泉街です。
笛吹橋から20分ちょっと、石和宿後藤本陣跡に到着、12時20分ごろです。ウェルチは飲み切ったので、特茶とクリームパンという痩せたいのか太りたいのか、よくわからない取り合わせで、12時半まで休憩です。
石和宿を後に、石和八幡宮、山梨学院大学、甲斐善光寺を過ぎると甲府柳町富士井屋本陣跡地点につきました。予定通り午後2時です。本陣跡地到着少し前に、日本新聞発祥の地の碑を発見、横浜毎日新聞のほうが発刊は古いようですが、現在でも続いている新聞社の中では一番古いとの事でした。本陣跡には遺構もないので、後は努力目標で、韮崎方面に進み、竜王か塩崎までは歩くことにし、お昼ご飯を食べられそうなお店を探しながら進んで行きます。
甲府の市街地を抜け、荒川を渡って少し進んだところで、おしゃれな中華ご飯や「かんざし」さんを見つけ、ここで少し遅い昼食をとることにしました。大変おいしいのですが、量が半端なく、ちょっとびっくりです。午後3時まで30分程食事休憩し、まずは竜王駅方面にすすみます。山梨県立美術館を過ぎると、すぐに甲斐市に入ります。食事休憩を入れても、1時間半ちょっとで竜王までこれたので、塩崎に向かう事にしたのですが、すぐに登り坂です。ドラゴンパークというものがあるようです。登りきると、山梨県発電総合制御所クリーンエネルギーセンターという建物が建っていました。前を素通りして塩崎に向かいます。
15分ほど進むと海鼠壁の街並みが美しい下今井を過ぎました。もう午後4時を回っています。塩崎駅に向かって今日は終わりにするか悩みましたが、このまま韮崎宿まで進んでしまう事にして、さらに進むこと30分、釜無川と合流している塩川を渡るときにはじめて、富士山が見えている事に気づきました。まったくもったいない話です。山梨側から見る富士山は関西人が新幹線から見る宝永山による左肩(右側)の盛り上がりが無く少し見慣れない感じですが大変美しくテンションも上がります。何度見ても「おおっ」と声が出てしまうほど本当に美しい山だなと改めて感じます。塩川を越えるともう韮崎市です。
さすがに足はいたるところ筋肉痛ですが、韮崎宿本陣跡を目指してラストスパートです。韮崎本陣跡には、午後5時15分ごろ到着、後は韮崎から「あずさ」に乗って帰ろうと駅に急ぎます。
駅には午後5時20分に到着、あずさ50号、25分発が予約できたのですが、これが18時25分という事で、1時間程時間をつぶして帰宅しました。乗り継ぎがうまくいったので、午後9時前には上尾に到着しました。
次回はあずさ1号で韮崎からスタートし、富士見やすずらんの里のようなJRと旧甲州街道が隣接している地点から、茅野か韮崎に移動して一泊、翌日完歩という計画にしようと思います。それでも、トータル6日かかりそうです。