東海道五十三次 6日目 2016/04/28
ロキソニン効果を期待して、丸子(5.7km)、岡部(7.9km)、藤枝(6.8km)、島田(8.7km)、金谷(3.9km)、日坂(6.5km)、掛川(7.1km) 計 46.6km が目標でしたが、朝から本降りの雨です。無理なら早めに切り上げる軟弱な気持ちで出発です。
雨で宇津の谷 大正トンネル全面通行止めの案内多数。旧道にトンネルなどないのに混乱してしまって、迂回路案内に振り回され1時間弱も無駄になりました。おかげで雨は少し小降りになり、丸子(古くは鞠子)宿の峠を越えて進みます。途中で、小田原攻めの時に秀吉公が下賜された羽織のあるお店や、明治トンネルの前を通りましたが、羽織はお店が閉まっていて見れず、明治トンネルはどうしても通ってみたかったので、一往復して、旧道に戻って峠越えでした。
峠を越えると岡部宿、平地を藤枝、島田宿へと進みます。
あらかじめ各宿場ごとにリストアップしておいた、コインランドリーのあるビジネスホテルに、午後の体調を見て予約を入れるスタイルだったのですが、島田宿の先の金谷、日坂にはホテルがありません。掛川までは歩けない、島田に泊まります。
宇津の谷の案内で迷った1時間が悔やまれます。という事で島田宿。
ホテルには大浴場までありました。ちょっと嬉しい。
素人が生意気ですが、ここまでで、気づいたことです。
宿場町の間の集落は、表札の種類が少なく、数家族が分岐していった様子がうかがえます。これに対して宿場町は表札がまちまちです。新しい法律などを、早急に日本全体に伝達する伝馬制を敷くために、宿場に必要な機能を提供する方々の大掛かりな移民などを伴う大事業だったのかもしれません。
その機能分化のためか、宿場の雰囲気をとどめた街には、和菓子屋さんや着物屋さん、履物やさんが散見されます。すべての宿場に宿泊するわけではないので、お団子やお餅などの炭水化物提供や、荷物になる着物の交換や履き古した草鞋の新調などの経済活動があったんだろうと思います。