おとな散歩の記録
家族や友達と行く旅も楽しいですが、一人旅も大好きです。
一人旅では、2つの目だけでは注意が行き届かず、失敗も多いですしリスクや不安も大きいです。
しかしその分、全部自分の判断と責任になるので、先の見えない「冒険」になっているように思いますし、誰も自分の判断による失敗に巻き込まなくていいので気楽です。
ここでは、特に一人で沢山歩いた旅やソロツーリングの記録を残したいと思います。
奥州道中十次 2日目 2022/05/22
今日も、大田原は午後からお天気が崩れ、白河は午後からはましなようなので、早朝4時からのスタートです。昨日より30分ほど早く、夜はまだ白みかけたばかりです。ホテルを出ると鶏の鳴く声が聞こえます。多分、こんな日曜日の早朝には、鳴かないで欲しいと願うご近所さんも少なくはないのでしょう。
十次 約 85 km2日目、今日は鍋掛(12.0km)、越堀(1.0km)、芦野(9.1km)、白坂(12.2km)、白河(7.6km) 計 41.9km 5宿の予定。さあ出発です。
今日は、大田原芦野線県道72号を芦野までひたすら進み、芦野を越えたら国道294号線と国道沿いの集落の中を通っている旧奥州道をトレースしながら北上して白河に向かうのが大まかなルートです。72号線は大部分歩道が整備されていて歩きやすいです。1時間半ほど歩くと那須塩原市に入りました。5時30分ごろです。
那須塩原市に入ってさらに30分程歩くと樋沢の不動明王像、樋沢神社、鍋掛一里塚、鍋掛神社と続き、鍋掛の宿場町に入っていきます。
今日の目的地白河まであと28kmの道標がありました。旧道でも30km程度で到着と思うと元気が出てきます。生憎、鍋掛宿菊池本陣跡は遺構もなく、那珂川を渡り、越堀宿を目指します。越堀宿にも遺構は無く、少し歩いたところに鍋掛荘の石碑があります。ここでは休まず、次の芦野宿へひたすら、県道72号線を進んで行きます。寺子一里塚を過ぎ、余笹川を渡り、弁慶の足踏み石を過ぎ那須モータースポーツランドを過ぎると那須町に入ります。
夫婦岩の一里塚を過ぎ20分程歩くと芦野宿の見附を越えたのか、いたるところに昔の屋号や生業を記した小さな灯篭のようなものを見かけるようになります。
300年の歴史を持つ丁子屋さんという鰻屋さんを過ぎると芦野宿臼井本陣跡に到着、石の美術館になっています。8時半です。本日の大方半分を歩いたことになります。石のベンチに腰掛けて休憩です。
あと20km程で、奥州道中も完歩し、5街道制覇になると思うと少し寂しいような気もしてきます。歩き出そうとすると筋肉痛や足の豆の痛みが気になるレベルになってきています。持ってきたロキソニンを飲んで、次の白坂宿へ進んで行きます。次の白坂宿からはいよいよ福島県です。歩いて栃木県と福島県の県境を越えた関西人はどれくらいいるのかなと考えながら進んで行きます。294号線と並行する旧道は、少し高台を通るようになっています。板屋の一里塚を越えていくとまた、国道に戻ったり、側道の集落を通ったりして進んで行きます。白坂までは今日最長の12.2kmこの側道集落への迂回は少し面倒ですが、これが無く淡々と294号を歩いていたら退屈必至です。泉田一里塚を越えいくつか集落を越えていきます、板屋や寄居は間の宿でもあったようです。
初花清水を越えたあたりで傘無しでは歩けない程度の雨になってきました。2mm程度の雨なら傘をさして歩くことに支障はないのですが、しゃがんで休憩するところを探すのが大変になります。芦野を出てから2時間半、淡々と歩くといよいよ福島県突入、越境です。11時です。白坂の峠には境の明神があります。
峠を下り進んで行くとようやく白坂宿です。11時15分まだお昼前ですが7時間以上歩いたことになります。白坂宿を越えて白河の市街地へ向かうと雨も小降りになってきました。
少し陽も差してきていますが、天気雨のようにまだ傘は必要です。峠を下りきり白河の市街地が見えてきたあたりから雨もすっかりやみました。市街地に入ると戊辰戦争の慰霊碑があります。慰霊碑を越えたところで歩いていてもわかるほど地面が揺れ、携帯からは緊急地震速報のアラーム、周辺の家々の犬が一斉に吠えだす。地震です。茨城県沖で地震があったようです。震度は3程度でどうすることもできないのでそのまま進んで行きます。左手には白河駅が見えてきます、その後ろに見えているのは小峰城です。白河駅の前を過ぎ少し行くと、ついに白河宿芳賀本陣跡に到着、12時45分です。明治天皇が宿泊された脇本陣の柳家旅館が遺構として保存されています。
これで、奥州道中も完歩、5街道制覇です。このまま白河駅に向かっても良いのですが、旧陸羽街道との追分まで歩いてみることにして、もう少し進みます。追分まで小さな峠を越えたあたりから軽い夕立のような雨が降ってきました。本陣跡からすんなり駅に向かった方がよかったかなと考えながら、追分を見て、小峰城に戻ってきたころ少し小降りになってきました。今日は一日傘を指したり片づけたりです。白河駅で、新白河14時50分発の新幹線が予約できました。上尾には16時過ぎに帰着できました。奥州道中は、距離も短く、思い立った普通の週末で完歩できたので、達成感もそれなりでした。5街道の中ではやはり一気に完歩した東海道の達成感がダントツで、もう一度歩きたいと思うのは、東海道と中山道です。「5街道」本当に楽しかったです。
奥州道中十次 1日目 2022/05/21
去年の秋、日光道中を完歩した際に宇都宮までは歩いたので、今日は宇都宮からスタートです。小雨が今にも降ってきそうな天候ですが、奥州道中は電車から離れたところも多く、土砂降りなどで断念したとしても、途中棄権もむつかしい道中です。
予報では午後から天気が崩れるらしいので、早朝4時30分からのスタートです。
夜はもうすっかり明けています。初夏の朝は早く、もう30分早く出発したほうが良かったのかもしれません。
十次 約 85 km1日目、今日は宿も予約しているので、雨が降っても、白沢(10.9km)、氏家(5.9km)、喜連川(7.9km)、佐久山(11.2km)、大田原(6.7km) 計 42.6km 5宿強行の予定。さあ出発です。
まずは、宇都宮宿の本陣跡地点に移動です。みずほ銀行の宝くじ売り場がその地点、宝くじ的な良いことがあればいいのですが、雨がひどくならない事を願い、まずはJR宇都宮駅方面に進みます。
少し進むと、商店街のモールに入っていきます。街道宿場町は商店街になっている事が多いです。地方に行くと車文化でバイパス沿いの大型店舗に顧客を奪われてさびれた商店が多いのですが、ここ宇都宮は、立派なアーケードになっていてまだまだ活気が残っています。
商店街を抜け、田川を渡り旧篠原邸宅を横目に進んで行くと宇都宮市街地からだんだん離れていきます。
ここから白沢宿までは、10km 以上あるのでモチベーションを維持するために一里塚地点を目印に進んで行きます。宇都宮から白沢までは県道125号線を北上し、氏家周辺で県道181号沿いにすすみ、喜連川までは国道293号沿いにまた北上するというのが前半の主なルートです。
一つ目の竹林一里塚は、豊郷南小学校になっています。二つ目の海道新田一里塚は、白沢河原のバス停に、6時10分になりました。ここまで約9kmを100分程、朝は快調で時速5km強で歩けているようです。40kmを越えると時速3kmくらいにまで減速してしまうので、朝のうちに距離を稼ぐことにして白沢に向けて、てくてく歩いていきます。白沢河原のバス停を過ぎ岡本街道と合流するころには、白澤宿の案内を見ることができテンションも上がります。
たまに雨がぱらつきますが、折り畳み傘で十分です。
大黒天、白髭神社を過ぎると白沢宿宇加地本陣跡です。6時40分
疲れていないので、次の氏家宿に進んで行きます。天気が良ければ気持ちの良い、田植え跡の新田も今日は侘しい感じがします。氏家、現在の行政区はさくら市、鬼怒川を越えていくのですが、293号線の氏家大橋は歩道が整備されおらず少し怖いです。
鬼怒川を越えるとさくら市です。氏家町と喜連川町が合併を行う際に住民投票で命名されたそうです。春ならきっと桜が綺麗なところなんだろうなと思いながら進んで行きます。
さくら市に入って一旦、川の一里塚を見るために川沿いを南に下って、氏家宿本陣跡を目指します。途中で東北本線と交差するところに来ましたが、中山道で中央本線と交差した時とかわらず、旧道との交差部分は味はありますが、寂しいものです。氏家宿平石本陣跡には遺構もなく、ただ本町の表示だけがありました。8時15分ごろです。氏家宿村上脇本陣跡の小さな公園のベンチで休憩し、次の喜連川に向かいます。しっかり2里の距離ですが、途中に古道もあるようなので風情を楽しみに進んで行きます。
氏家宿を出発し、少し行くと瀧澤家住宅です、明治天皇もご休憩されたそうです。そこから小一時間も進むと古道に入ります。16世紀半ばの戦国時代、那須、喜連川連合軍と宇都宮軍が戦った古戦場があります。古戦場を過ぎ古道を通り抜けると喜連川城のあったお丸山公園のスカイタワーが見えてきました。本陣跡ももうすぐです。
喜連川宿上野本陣跡に到着しました。10時です。次の佐久山宿までが今日の最長距離です、15分くらい休憩です。県道114号沿いに1時間ほど進むとアオノファーム那須農場から古道に入ります。奥州道中の古道は人通りも少ないのか雑草が生い茂っていて難儀します。古道を抜け1時間程歩くと大田原市の道標です。もうすぐ12時です。
少し前から雨の匂いがしていたのですが、ぽつぽつと降り始めた雨が急に激しくなってきました。今日はここまでかなという勢いになってきたところでキッチン菜胡野家さんというレストランを発見。ちょうどお昼なので昼食休憩を取りながら様子を見ることにします。とても美味しい、シチューハンバーグをゆっくりいただいて休憩しながら空を見上げると夕立のように激しかった雨が小降りになってきました。1時間弱も雨宿りしながら食事休憩をとれたので、予定通り大田原宿を目指して歩く事にします。菜胡野家さんを出るときには必要だった傘も5分もするといらなくなったので、本当についていました。30分も歩くと安政2年創業の小島屋さんという和菓子屋さんの前を過ぎ、佐久山宿井上本陣跡に到着です。大田原佐久山郵便局になっています。午後1時半です。今日予定の大田原宿までは2里弱というところ2時間もあれば到着できそうです。
県道48号線を百村川沿いに北上し進むこと1時間、大田原の市街地が見えてきました。大田原宿印南本陣跡地点には午後2時45分ごろ到着、そのまま金灯篭を過ぎ、今日のお宿温泉旅館アオキさんへ奥州道中沿いに進んで行きます。蛇尾川を渡ると富士電機機器制御さんの大田原工場が見えてきました。今日の道中はここまで、アオキさんで温泉に入ってゆっくり明日のために休養します。
2022年 甲州道中四十四次 5、6日目 2022/04/23-24
甲州道中四十四次 5日目 2022/04/23
4月23、24日両日雨は降らなさそうなので、この週末で甲州道中を完歩することにしました。茅野にホテルが取れたので、23日は過激ですが、あずさ1号で当日韮崎に移動し、45km 程度歩き、24日残りの16km 程度を早朝踏破し、お昼ごろには上尾に帰着する計画としました。
四十四次 約 207 km (52里21丁)5日目は、あずさ1号で韮崎に移動し、そこからスタートして、台ケ原(15.7km)、教来石(5.5km)、蔦木(4.6km)、金沢(14.4km) 4宿に加えて、茅野までのおよそ5km、計45km、6日目は上諏訪(15.5km 実質残り10kmほど)、下諏訪(5.1km)、計 20.6km 2宿実質16km を、午前7時ごろまでに歩き切り、下諏訪から上諏訪へ電車移動し、上諏訪発のあずさ8号で帰宅する予定です、かなり過激ですが、出発です。
新宿で、あずさ1号に乗り換えて韮崎に到着したのは、8時36分歩き出しが9時前になってしまいました。やっぱり前泊だったかなと思いながら出発です。駅からは八ヶ岳が綺麗に見えています。快晴です。
平和観音に、世界を揺るがしている戦争の終結を祈りつつ新府方面に進んで行きます。諏訪まで、国道20号線なら50kmのようです。30分も歩くと東京エレクトロンさんが見えてきました。次の台ケ原宿までは、15.7km、この旅最長の宿場間距離のため、小さな目印を見つけながら歩かないと退屈必至です。今日は厳しい北風が向かい風になっていてなかなか骨が折れます。
釜無川に沿うように、ところどころ集落になっている、旧甲州街道に分岐し、また国道20号線に戻ってくる繰り返しで進んで行きます。集落になっているところはほとんど小さな高台になっています。昔の川は流れを変えることもあっただろうし、ある程度高地で無いと安心して生活が営めなかったのかな、にしても国道の方が楽そうだなとか色々考えながら歩いていきます。出発から3時間釜無川と尾白川に分岐したところで、古道はらじ道に入ります。退屈していたので、少しワクワクです。
古道は、アスファルトやコンクリートにいじめられた靴底に優しく気分よく進んで行けます。古道に入ってすぐ「無銘の巨塔」の案内が、スルーできずに登っていくと大きな巨石が銘を刻まれず立っていました。古道に戻り進むとやっと台ケ原宿が見えてきました。12時です、そろそろお腹もすいてきました。手打ちそばのお店を見つけたのですが、お客様が並んでおられるので、台ケ原珈琲さんで早くできると言っていただいたピザトーストとアイスコーヒーをいただき、トイレをお借りしてすぐに続きに取り掛かります。
茅野まではあと30kmほどあり、時速5kmでも6時間、時速4kmなら、7時間半、到着が夜になってしまいます。次の教来石宿までは5.5km疲れてきてはいますが、南アルプスを眺めながら1時間少しで到着、午後1時半です。本陣地点には遺構らしきものはありませんでしたが、すぐ近くに明治天皇の御小休止所の石碑がありました。次の蔦木宿までも5km弱、休まずに進んで行きます。
30分程で、山口の関所を越え釜無川を渡ると長野県に突入です。釜無川を渡って一旦国道20号線を離れ、旧道で応安の石碑などを見て、国道に戻ると、蔦木宿大阪屋本陣跡です。午後2時半です。
次の金沢宿へは14km強、3時間はかかりそうです。さらにその後、茅野までは6kmほど、休憩なしに進んでも午後6時半ごろになりそうです。日没後しばらくは薄明かりがありますが、急がないと真っ暗になってしまいます。今日出発した韮崎から最後の金沢宿の手前までの道のりは約600mの高低差があり、緩い登り道が続いていましたが、蔦木宿以降はさらに登りが厳しくなってきます。根負けすることなく一里塚を目印に進んで行きます。
途中カゴメさんの富士見工場や八ヶ岳みらい菜園などのおかげで飽きずに進んで行けます。金沢宿白川本陣には午後5時15分ごろ到着です。残り6kmです。金沢宿の手前からなだらかな下りになってきています。
なんとかあと1時間は、明るいうちに歩けそうです。金沢宿を出て1kmほど歩くと、県道197号線に分岐し交通量が減って歩きやすくなってきます。中央道西宮線をくぐったあたりで旧道に入り、茅野の市外に入っていきます。
茅野の天皇御小休所に到着したのは、午後6時半。今日は約49km、約6万7千歩ほど歩きました。ホテルちので宿泊させてもらい、明日は朝4時過ぎ頃から歩きたいと思います。
甲州道中四十四次 6日目 2022/04/24
24日朝、昨夜はホテルに入って、コンビニ弁当を食べてお風呂に入ってすぐに眠ってしまったので、午前3時半ごろ目が覚めました。午前4時半、周りはまだ少し暗いですがすぐに明るくなってくるので、下諏訪に向かう事にします。今日のルートは国道20号線と少し山手にある旧甲州街道を歩くことになります。
夜が白みがかってくるこの時間帯に歩くのは、本当に気持ちがいいです。思ったより今日は筋肉痛もなく、朝から気分よく歩けます。歩き始めて30分もたつと空が明るくなってきました。トイレに行きたくなってきたのですが、国道20号を離れて旧甲州街道を進んでいるとどこにもコンビニがありません。上諏訪宿本陣跡の手前にセブンイレブンがあるようなので、強行して進むことにします。寛文2年1662年創業の宮坂醸造を過ぎたところでセブンイレブンを発見、おトイレをお借りし、ホットコーヒーで一服です。そこから上諏訪宿ぼたん屋本陣跡には6時に到着です。遺構はありませんでしたが、本陣跡は郵便局になっていて、周辺の商店街は街道風情を感じることができます。
上諏訪を出て少し行くと江戸から52番目の片羽一里塚です、事前調査では52里21丁という事だったのですが、下諏訪の手前に53番目の冨部一里塚があるようです。後5km程でこの旅も終わりかと思うと少し寂しくなってきます。
片羽一里塚を越え、エプソンさんを見たあたりから高台になってきていて諏訪湖が目に入ってきます。もうすぐゴールです。明治天皇御駐輦址を過ぎたあたりから諏訪大社に向けてだんだんと下りになってきます。
諏訪大社には午前7時ちょうどに到着、去年中山道を歩いた時の分岐点、今回のゴール下諏訪宿本陣には7時4分に到着です。
今朝は歩いた時間が短く、あっけない幕切れですが、下諏訪駅に向かいます。無事に乗り継ぎもでき、7時33分あずさ8号で新宿に向かう道すがら今回の旅を振り返ることができました。2日目の城山山頂に登ってしまったミスがなく、初日もう少し頑張れば、5日の距離だったかもしれません。東海道、中山道の時のような達成感はありませんでしたが、初日の歩き「はとバス」的なコースは楽しめましたし、山梨や埼玉西部を知る良いきっかけになりました。五街道、残すところは奥州道中です。またまた楽しみですが、五街道制覇後はツーリングに戻る予定です。
四十四次データ
宿場 | 里程(36丁) | km | 累積km | 令制国 | 郡 | 現在の自治体 | |||
都道府県 | 市区町村 | ||||||||
00 | 日本橋 | - | - | - | 武蔵国 | 豊島郡 | 東京都 | 中央区 | |
01 | 内藤新宿 | 2里 | 7.9 | 7.9 | 新宿区 | ||||
02 | 下高井戸宿 | 2里 | 7.9 | 15.7 | 多摩郡 | 杉並区 | |||
02 | 上高井戸宿 | 12丁 | 1.3 | 17.0 | |||||
03 | 国領宿 | 1里19丁 | 6.0 | 23.0 | 調布市 | ||||
04 | 下布田宿 | 3丁 | 0.3 | 23.3 | |||||
05 | 上布田宿 | 2丁 | 0.2 | 23.6 | |||||
06 | 下石原宿 | 8丁 | 0.9 | 24.4 | |||||
07 | 上石原宿 | 7丁 | 0.8 | 25.2 | |||||
08 | 府中宿 | 1里10丁 | 5.0 | 30.2 | 府中市 | ||||
09 | 日野宿 | 2里 | 7.9 | 38.1 | 日野市 | ||||
10 | 八王子宿 | 1里27丁 | 6.9 | 44.9 | 八王子市 | ||||
11 | 駒木野宿 | 1里27丁 | 6.9 | 51.8 | |||||
12 | 小原宿 | 27丁 | 2.9 | 54.8 | 相模国 | 津久井郡 | 神奈川県 | 相模原市 | 緑区 |
13 | 与瀬宿 | 19丁 | 2.1 | 56.8 | |||||
14 | 吉野宿 | 34丁 | 3.7 | 60.5 | |||||
15 | 関野宿 | 26丁 | 2.8 | 63.4 | |||||
16 | 上野原宿 | 34丁 | 3.7 | 67.1 | 甲斐国 | 都留郡 | 山梨県 | 上野原市 | |
17 | 鶴川宿 | 18丁 | 2.0 | 69.1 | |||||
18 | 野田尻宿 | 1里3丁 | 4.3 | 73.3 | |||||
19 | 犬目宿 | 18丁 | 2.0 | 75.3 | |||||
20 | 下鳥沢宿 | 1里11丁 | 5.1 | 80.4 | 大月市 | ||||
21 | 上鳥沢宿 | 5丁 | 0.5 | 80.9 | |||||
22 | 猿橋宿 | 26丁 | 2.8 | 83.8 | |||||
23 | 駒橋宿 | 22丁 | 2.4 | 86.2 | |||||
24 | 大月宿 | 16丁 | 1.7 | 87.9 | |||||
25 | 下花咲宿 | 13丁 | 1.4 | 89.3 | |||||
26 | 上花咲宿 | 5丁 | 0.5 | 89.9 | |||||
27 | 下初狩宿 | 13丁 | 1.4 | 91.3 | |||||
28 | 中初狩宿 | 24丁 | 2.6 | 93.9 | |||||
29 | 白野宿 | 1里2丁 | 4.1 | 98.1 | |||||
30 | 阿弥陀海道宿 | 18丁 | 2.0 | 100.0 | |||||
31 | 黒野田宿 | 12丁 | 1.3 | 101.3 | |||||
32 | 駒飼宿 | 2里5丁 | 8.4 | 109.7 | 山梨郡 | 甲州市 | |||
33 | 鶴瀬宿 | 18丁 | 2.0 | 111.7 | |||||
34 | 勝沼宿 | 1里3丁 | 4.3 | 116.0 | |||||
35 | 栗原宿 | 31丁 | 3.4 | 119.3 | 山梨市 | ||||
36 | 石和宿 | 1里23丁 | 6.4 | 125.8 | 八代郡 | 笛吹市 | |||
37 | 甲府柳町宿 | 1里19丁 | 6.0 | 131.8 | 山梨郡 | 甲府市 | |||
38 | 韮崎宿 | 3里20丁 | 14.0 | 145.7 | 巨摩郡 | 諏訪市 | |||
39 | 台ヶ原宿 | 4里 | 15.7 | 161.5 | 北杜市 | ||||
40 | 教来石宿 | 1里14丁 | 5.5 | 166.9 | |||||
41 | 蔦木宿 | 1里6丁 | 4.6 | 171.5 | 信濃国 | 諏訪郡 | 長野県 | 諏訪郡 | 富士見町 |
42 | 金沢宿 | 3里4丁 | 14.4 | 185.9 | 茅野市 | ||||
43 | 上諏訪宿 | 3里14丁 | 15.5 | 201.4 | 諏訪市 | ||||
44 | 下諏訪宿 | 1里11丁 | 5.1 | 206.5 | 諏訪郡 | 上諏訪市 | |||
計 | 52里21丁 | 206.5 |
2022年 甲州道中四十四次 4日目 2022/04/16
4月15日は雨でしたが、16日は持ち直すという事なので、仕事が終わった後、大月駅に移動し、できたばかりの東横INNに前泊し、念願の「ほうとう」を食べました。
四十四次 約 207 km (52里21丁)4日目、今日16日は、笹子峠を越え甲府を目指します。始発で大月駅から前回到達した笹子駅に移動し、そこからスタートして、黒野田(1.3km)、駒飼(8.4km)、鶴瀬(2.0km)、勝沼(4.3km)、栗原(3.4km)、石和(6.4km)、甲府柳町(6.0km) 、計 31.7km 7宿に加えて、できるだけ韮崎に向かって進んでおこうと思います。甲府の先の竜王駅か、塩崎駅まで進んでおく事ができれば、残り70kmを切り、2日分のレンジになります。塩崎駅までなら40km超えになります。さあ、出発です。
笹子駅を出て国道20号線に出たり入ったり笹子川を縫うようにできるだけ旧道を進んでいきます。笹子駅は阿弥陀海道から黒野田の中間ぐらいにあったので10分ほどで黒野田宿本陣跡地点に到着、そこから黒野田一里塚も5分程です。
なだらかな上り道をてくてく進んで行くと笹子峠の標識、集落に入るといよいよ旧道の峠道です。まずは、矢立の杉を目印に旧道の峠道を登っていきます。
なかなかの峠道ですが、すぐ近くに県道212号線日影笹子線が走っているので不安はありません。急峻な旧道を抜けて212号線に戻って進むと笹子隧道です。甲州道中の頃にはトンネルは無かったはずと、周りを見渡すとトンネルの入り口手前にトンネルを越える峠道を発見しました。これを登っていきます。峠を越えるとトンネルの反対側に出ました。また旧道に戻って進んで行きます。
旧道を抜けて212号線をゆっくり下っていくと駒飼宿渡辺本陣跡に到着、9時前になりしました。思ったより疲れていないので、鶴瀬宿に進みます。
鶴瀬宿までは2km程度、20分程度で集落に到着、本陣跡地手前には関所跡があります。
鶴瀬宿手前から合流した国道20号線を進んで行くと観音トンネルに行き当たります。ここもよく見ると手前にトンネルを越える峠道を発見しました。峠道を登って行くのですが、アプリの示すルートと自分の位置がぴったりこず、行ったり来たりしながら道を探します。半分あきらめかけて聖観音堂を目指して登り聖観音正面の崖の方に進んで行くと下り道を見つけることができました。
トンネルを越えて旧道を進み、国道20号線に戻りゆっくり下っていくと近藤勇と板垣退助が戦った、柏尾の古戦場跡、大善寺を通り過ぎます。
鶴瀬宿から1時間弱、勝沼宿に到着です。本陣槍掛けの松の前で、クリームパンとウェルチで10時半まで休憩です。
ここから栗原宿へはなだらかな下りです。通り沿いはぶどう狩りの農園が軒を連ねていますが、季節柄閑散としています。20分程下っていくと山梨市に入り、すぐ栗原宿です。遺構もないので、石和か甲府で昼食休憩をとることにしてそのまま進みます。
11時です。甲府までは12km強、笹子峠の疲れのためか、ペースも落ちてきているので時速4kmとして、甲府に午後2時頃到着できれば良しとします。石和までは国道411号線に入ったり出たりで日川に沿うように歩いていきます。日川沿いに出たあたりから、石和方面の山に鳥居のような漢字の円のような模様が見えています。調べてみると御室山の「笈型(おいがた)焼き」の場所のようです。笈型焼きの模様を見ながら、日川の合流した笛吹川を渡ると石和の温泉街です。
笛吹橋から20分ちょっと、石和宿後藤本陣跡に到着、12時20分ごろです。ウェルチは飲み切ったので、特茶とクリームパンという痩せたいのか太りたいのか、よくわからない取り合わせで、12時半まで休憩です。
石和宿を後に、石和八幡宮、山梨学院大学、甲斐善光寺を過ぎると甲府柳町富士井屋本陣跡地点につきました。予定通り午後2時です。本陣跡地到着少し前に、日本新聞発祥の地の碑を発見、横浜毎日新聞のほうが発刊は古いようですが、現在でも続いている新聞社の中では一番古いとの事でした。本陣跡には遺構もないので、後は努力目標で、韮崎方面に進み、竜王か塩崎までは歩くことにし、お昼ご飯を食べられそうなお店を探しながら進んで行きます。
甲府の市街地を抜け、荒川を渡って少し進んだところで、おしゃれな中華ご飯や「かんざし」さんを見つけ、ここで少し遅い昼食をとることにしました。大変おいしいのですが、量が半端なく、ちょっとびっくりです。午後3時まで30分程食事休憩し、まずは竜王駅方面にすすみます。山梨県立美術館を過ぎると、すぐに甲斐市に入ります。食事休憩を入れても、1時間半ちょっとで竜王までこれたので、塩崎に向かう事にしたのですが、すぐに登り坂です。ドラゴンパークというものがあるようです。登りきると、山梨県発電総合制御所クリーンエネルギーセンターという建物が建っていました。前を素通りして塩崎に向かいます。
15分ほど進むと海鼠壁の街並みが美しい下今井を過ぎました。もう午後4時を回っています。塩崎駅に向かって今日は終わりにするか悩みましたが、このまま韮崎宿まで進んでしまう事にして、さらに進むこと30分、釜無川と合流している塩川を渡るときにはじめて、富士山が見えている事に気づきました。まったくもったいない話です。山梨側から見る富士山は関西人が新幹線から見る宝永山による左肩(右側)の盛り上がりが無く少し見慣れない感じですが大変美しくテンションも上がります。何度見ても「おおっ」と声が出てしまうほど本当に美しい山だなと改めて感じます。塩川を越えるともう韮崎市です。
さすがに足はいたるところ筋肉痛ですが、韮崎宿本陣跡を目指してラストスパートです。韮崎本陣跡には、午後5時15分ごろ到着、後は韮崎から「あずさ」に乗って帰ろうと駅に急ぎます。
駅には午後5時20分に到着、あずさ50号、25分発が予約できたのですが、これが18時25分という事で、1時間程時間をつぶして帰宅しました。乗り継ぎがうまくいったので、午後9時前には上尾に到着しました。
次回はあずさ1号で韮崎からスタートし、富士見やすずらんの里のようなJRと旧甲州街道が隣接している地点から、茅野か韮崎に移動して一泊、翌日完歩という計画にしようと思います。それでも、トータル6日かかりそうです。